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浅草ほうずき市でがっかり

7月10日、浅草のほうずき市に行ってきました。
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ただどの店のほうずきも、同じ植木鉢で同じ包装で、統一価格2500円。
どの店にいっても、ぜ~んぶおんなじ。
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どうやらすべての店が、同じところから卸したほおずきを、ただ売っているだけのよう。どの店を見ても、完全にぜんぶ同じほうずきの鉢。よいもわるいもありません。

売り子さんも、なにか感じのわるいおにいちゃん・おねえちゃんたちばかりで、とても買う気がしません。要するに、このおにいちゃんたちは、ただ観光客相手に〝モノ〟を売っているだけ。商品が全部同じで、企業努力もなにもないから、結局、しつこく売るしかない……

中国の観光地の土産物屋とよ~く似ていましたね。
どの店も売ってるものは、ぜんぶ同じ。
売り子はずーずーしくて、おしつけがましくって。

出店の屋台が酒のさかなと酒ばかりなのも、ちょっと。職人芸を見せるような出店がぜんぜん無かったですね~。下町って職人の町じゃないんですか。ほうずきの売り子さんも、出店の売り子さんも、ほんとに浅草の地元の人なのかなぁ、などと思いました。

小学生のころ読んだ、小林信彦さんの『大統領の密使』(オヨヨ大統領シリーズ)という小説の中で、「四万六千日、おあつうございます」というラジオ中継の話しがあって、子供のころから、浅草ほうずき市にずっと行ってみたい、と思っていたのです。

期待外れでした……

浅草に行くたび、仲見世に全然魅力を感じないな、と思います。買いたいと思うものが全然ない。ここで食べたいと思うものがなかなかない。江戸情緒らしく見えそうな安っぽい〝グッズ〟が高値で展示されているだけ。外国人ぐらいしか買わないでしょう。

ところが帰りによった、合羽橋の七夕のお祭りがとてもとても良かったのです。
地元の商店街が一生懸命手作りで作ったという感じのお祭りで。
若い高校生ぐらいの子たちが、一生懸命飾り付けをして、出店を出して、大人達といっしょに声を張り上げて。
とても好感がもてました。あとで、ちょっとだけ紹介できたらと思います。
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ポニョ試写会

ポ-ニョ ポ-ニョ ポニョ さかなの子♪♪

「崖の上のポニョ」の試写会に行って来ました。
八王子市民会館、7月5日、晴れ。
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八王子市民会館は、とにかく椅子が堅くて、お尻が痛くて……

映画の感想は、えっ、これで終わり?という感じ。
おもしろそうな展開になりそうな〝仕込み〟がたくさんあったのに、
どれも放置したまま、終わってしまった……

多分、30分のテレビアニメ一年分ができるぐらいの内容とネタがあるのでしょう。
そのさわりだけ紹介したという感じでした。

希望としては、テレビの30分アニメで一年ぐらいかけて、じっくり語ってもらいたい、というところです。
登場人物がみな魅力があって、深い過去がありそう。
その過去をじっくり見せて欲しい。

「未来少年コナン」ぐらいの大作になりそうな予感がします。
視聴費をとっている国営公共放送がスポンサーになって、宮崎監督に存分に仕事をさせてあげてほしい。

猫たちはお留守番でした。暑かったでしょう。みんな元気です。
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台湾の城隍廟と行天宮と迪化街

前回から半年も過ぎて更新です……反省です
去年の11月の台湾出張のとき、宴会料理の写真に同行者がたくさん写っていて、肖像の無断利用はまかりならぬと主張されてしまったので、宴会料理篇は中止なのです……

迪化街(てきかがい)にある霞海城隍廟(かかいじょうこうびょう)に行きました。
城隍廟は1859年の創建、縁結びの廟だそうで女性でいっぱいでした。
私も、御利益・御利益……
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迪化街は19世紀から大陸との中継貿易の拠点として栄えた商業区だそうです。
漢方薬やお茶、乾物・菓子などを扱うお店がずらっと並んでいます。
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台北でもっとも早く洋館が建てられた地区だそうで、この薬屋さんの建物も洋式です。
この装飾や文字の解説があればいいのに……
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こんな感じの建物もたくさんありましたね。「牙科」(歯医者さん)
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それから行天宮(ぎょうてんぐう)にも行きました。
『三国志』の英雄、関羽を祀ります。
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これが関羽、ほかにも道教の神々がずらっと。
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外壁の柱に大正の年号が。
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大正が消されているのもありました。
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スイカがかわいい。
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台湾で食べた軽めのもの

半月弱の間、仕事で台湾(台北)に行っていました。はじめての台湾です。
食べ物がおいしくておいしくて。まずは軽食から。

〝葱油餅〟ネギ入り胡椒パンという感じ。胡椒がすごくきいてて熱々でおいしかったです。35元

台北駅南部の台湾銀行本店に続く通りで。

〝胡椒餅〟歴史博物館に近い中正記念堂駅のそばで。これは肉入り。25元。熱々で口内をやけどしました。

朝食の定番。豆奬(熱々の豆乳)30元と油条15元

持ち帰りのお粥。十種類の穀物入り。35元

「大哥餃子」(訳すと兄貴餃子)という看板のある店で食べた酸辣餃子。80元

どうも新装開店だった様子。南港駅から5分ぐらい。

これは酸辣麺。この酸辣がおいしくてどこでもこればかり食べてました。70元

このお店は台北駅南部。世界書局・商務印書館という歴史物の本屋さんの近く。西洋式のような建物が結構のこっていました。

厨房の様子。

古亭駅近くの龍泉街という市場。朝市です。

生きてるものはこの鶏だけでした……ブタの頭、鶏の頭などありましたが、それは省略します。

魚が豊富。ただ100元=350円は日本とそんなに変わりません。


この人はカメラを向けたらポーズしてくれました。少数民族の方でしょうか。

練り物のお店。

路上でも。

この焼き肉店の群馬は何なのでしょう。肉は牛とブタでした。

お菓子がおいしそう。右端はカボチャを砂糖で固めた感じ。17元
真ん中は台湾定番のパイナップルケーキ。30元。下はタロイモせんべい。30元。

これは味もそっけもない、ただ小麦をねって焼いたもの。20元。シンプルな薄味でなかなかいけました。おやつでしょうか。

もちろんこういうのも食べたのですが、それは別にまとめましょう。

全体として、物価は日本とほとんどかわりません。1元=3.5円
ただこうした軽食が200円以内で食べられるのと、地下鉄が10元~40元まで(35円から135円)、バスが市内一律15元(45円)という公共料金の安さで、暮らし安いように感じました。

地下鉄はみなきっちり整列して乗り降りするし、町中にまったくゴミが落ちていないし、だらしない格好の若者を全然みかけないし、公共の場所ではみな静かにするし、道を譲るし、私が子供のころの昭和40年代の日本の雰囲気がしました。
台湾に対して大きな大きな好感を持った、と正直に書いておきます。

次回は、宴席料理編?


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神田明神と銭形平次

神田明神に行ってきました。

本殿の裏には、江戸の歴史を伝える石碑や神社が集められています。
そこに銭形平次の碑がありました。

となりの小さな碑が八五郎=がらっ八の碑。ちいさい……

この水盤は、炭薪仲買、飛脚問屋、人宿などの町人たちが奉納したもので、
文化二年(1805)の銘が側面に。

帰りに甘酒を飲んで帰りました。
雨が降って寒かったらしく、かばんにもぐりこむとらさん。


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早稲田のおそばやさん、亀鶴庵が閉店

早稲田通りの老舗そば屋、亀鶴庵が8月末日で閉店しました。
昭和10年創業、72年の歴史がいま幕を閉じました。



「きかくあん」なんですね。
昭和10年生まれの私の先生に「かめつるあんが閉店で」と言ったら、
「きかくあん」ですよ、と。

二階の手すりには折り鶴と亀が。

学部生のころは、このたたずまいに気押されて入れなかったのですが、
大学院生のころ、落ち着いた雰囲気のなかでゆっくりそばを食べられるので、
よく通ったものでした。


そういえば「あんかけ」をたのんだら、関東風の真っ黒のあんかけがでてきて、
尾張出身の私がおどろいたのもこの店でした。
天丼とおかめそばをよく食べましたね~

穴八幡下の焼き魚を食べさせる定食屋もなくなってしまったし、
(村上春樹の『遠い太鼓』でも回想されてますね)
早稲田通りの中華の一歩さんはつい最近、火事で焼けてしまったし、
好きだったお店がどんどんなくなっていきます。
ラーメンのメルシーさんには、ぜひがんばっていただきたいものです。


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ムコ多糖症

なっちのママさんのブログ「レモンの樹 新館」から、
この記事をいただいてきました。みなさまのブログでも紹介してください。
ぜひ、ご協力お願い致します。

それから、左の「dff.jp クリック募金」にも、ぜひぜひご協力をお願い致します。
0/8の「クリックで救える命がある」のときにクリックすると、協力企業すべてが表示されます。
このブログパーツをみなさまのブログに貼っていただけると幸いです。

エイブルさんの「難病の子供支援」、カカクコムさんの「骨髄移植推進」に、
クリックいただけると嬉しいです。
いつか「ひつじさんのおうち」を作るのが、わたしの夢です。
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 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
  皆さんは、この病気をご存知でしたか?

  ムコ多糖症
  この病気は、人間の中でも小さい子達に見られる病気です。
  しかし、この《ムコ多糖症》という病気は、
  あまり世間で知られていない(日本では、300人位発病)
  つまり社会的認知度が低い為に、
  今厚生省やその他製薬会社が様々な理由を付けて、
  もっとも安全な投薬治療をする為の許可を出してくれません。

  ムコ多糖症は日々病気が悪くなる病気で、
  発症すると殆どの人が10~15歳で亡くなります。

  8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で
  湘南乃風の若旦那が語ってから、私達に出来ることを考えました。
  それで思いついたのが、このバトンという方法です。
  5~6歳の子供達が厚生省にスーツ姿で出向いて
  自分達が生きる為に必死に頭を下げたりしています。
  この子達を救う為に私達が出来ることは、
  この病気を多くの社会人に知ってもらって、

  早く薬が許可されるよう努力することだと思います。
  みなさん、ご協力お願いします。

[ムコ多糖症]
  ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、
  体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。
  多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。
  重症の場合は成人前に死亡する。
  今のところ有効な治療法が無いので、
  骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の一つである。

    http://www.muconet.jp/

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このブログに訪問していただけるように、
がんばってブログを更新しなくちゃ……
猫三匹も、私も元気です。


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なが~い

タテヨコ比率を変えてないのですよ。いっさい加工なし。


いつのまにか年末……。


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しろくろんさん

西早稲田に住み始めたその日から、まるで「私の家よ」といわんばかりに、
白黒ぶちの若い猫がいつもベランダにお昼寝にきていました。

ネーミングのセンスのない私は、その猫を「しろくろんさん」とよんで、
ときどきチーズをあげたり、写真を撮ったりしていたのです。

最近、しろくろんさんの姿をみていないな、と思っていた10月のある日、
しろくろんさんは、なんとちいさなちいさな子猫たちを連れてきました。

年が明けた2月のある日、子猫たちは風邪をひいてぐったりしてしまいました。
あわてて捕まえて獣医さんに連れて行ったのですが、
このカメラ目線のトラ縞ぶちの女の子だけが助かりませんでした。
一番美人さんだった子が。

獣医さんはこういいました。
「十日間、朝晩一錠ずつ薬を飲ませて、暖かくして部屋が乾燥しないように」

部屋に閉じこめて、ひっつかまえて、口をこじ開けて、
薬を放り込んで、飲み込むまで口に蓋をして……。
十日たったあと、もう三匹を外に出す気にはなれません。
そこでしろくろんさんが三匹と子わかれしたのを契機に、
三匹の子猫だけ室内で飼うことにしたのです。

ここを引っ越すとき、しろくろんさんはつぎのつぎの子育て中で、
私からチーズをもらうと子猫のいる近所の廃屋へまっしぐらの毎日でした。
考えたすえ、私はしろくろんさんをそのままにして出ていったのです。

用事で早稲田にいくたび、いつも遠回りしてその家の前を通ります。
引っ越して数年の間は、子猫をつれたしろくろんさんをみかけました。
いまではもうしろくろんさんの姿を見かけることはありません。

でもその家のまわりで、しろくろんさんとよく似た模様の猫を見かけます。
しろくろんさんの生まれ変わりだ、と思います。
そして「ありがとう、がんばれ!」と声をかけるのです。


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岩倉城のいま

岩倉城跡は名鉄犬山線岩倉駅から歩いて5分ほど。
とはいっても城もなく城跡もなく、ただ石碑があるだけ。

教育委員会さん、ご苦労様。

岩倉城とは関係ない石碑が集められている。ただこれだけ。

私が子供のころは、この石碑群が住宅街のなかにぽつんとあって、
ちょっと探さないとわからないところにあった。
ただ付近よりも盛り上がった場所だし、まわりに堀の役目を果たしたと思われる小川もあって、
ここに城(というよりも砦)らしきものがあったんだな、と想像できる場所だった。

でもいまは、その真ん前に広いバイパス道が作られて、地形は崩れてしまっている。
小川も埋められてしまったし……。

近くには「古知野街道」という雅びな名前の街道が通っていて、木曽川近くの犬山まで続いている。
その道沿いには、まだこんな家や路地が残っている。


今度の京都出張の帰りにここに寄って、
一日かけて、なくなってしまいそうなものの写真をとろうかなぁ。


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